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当り障りのないことを書きます。

愚痴くらいは静かに聞いて欲しい。

相手がコミュ障(自称:対人能力に問題あり)だからなのか、意識しておかないと気持ちよくコミュニケーションができないシーンがある。

それは、ネガティブな感情を相手に吐き出したい時だ。とにかく、そういう時の受け取り方がうまくない人で、一時的にでも共感してくれれば多少の溜飲は下がって、その後のド正論も静かに聞くことができるものだが、まあとにかく最初から最後までド正論でくるから気分が鎮まるものも鎮まらないわけだ。

私としても日常のうち100%わがままに調子こいて好き勝手に発言しまくりたいわけでもないし、甘えたいわけではないんだけど、ロボットではなく人間なので精神的に寄りかかったり受け止めてほしかったりする瞬間だってあるわけですよ。

肉親にも精神的に寄りかかられすぎて、親子逆転がしんどくなって距離を置きっぱなしなので、私がそういうホシの元に生まれついてしまった説と、自分がそういう人を選んでそばにいるという共依存説があるんだけど、たぶん私の性格の問題なのでしょう。

わりと堪忍袋のヒモがしっかりしているというか、まあ、これは性格というより肉親が留守がちな父親の代わりを私に振っていたためだと思うんですが、自分の感情の喜怒哀楽が手に届きにくいっていうんですかね。瞬間的にその湧き出た感情がどんなものなんかを判断するちからに欠けているせいで、結果的に許容範囲の広い人ってことになっているんだと思うのだな。

そんなだから、相手は私がナニをどうしたって怒ったり悲しんだり喜んだりしないって刷り込まれているフシすらあるわけで。ちょっと不機嫌な素振り・わがままな素振りを出すとメンタル的にボッコボコにされるわけです。(あ、親からもね)

それゆえ、自分のしたいこと、嫌なことそのた諸々が、どの程度の主張なら受け入れられて、どの程度になるとワガママになるのか、判断がつかないんだよね。

フツーさ

逆だと思うんですよね。普段、怒らない人が怒ったら「それはホントに怒っているのだろう」みたいなね。そうなるでしょ、フツー。私の場合だと、更に上から被せられるだけだもんね。

だからストレス溜まるわけ。

さっきだって、私があるネタを3回位説明していて、何回説明してもなにも覚えてくれてないようで、そのネタについてテレビでやっているのを見て、あたかも初めて知ったかのように聞かれたら、そりゃ、不平の一つも言いたくなると思いませんか。

「私それ3回位アナタに言ってるんですけど。ホント、私の話に興味が無いというか、聞いてないよねw」

っていったら、ガチで拗ねて不機嫌になるとかで。「じゃあもう二度と聞かない」とかいうわけですよ。

おかしいよね?

面白くない気持ちになるのは、むしろ私のはずだと思うんですが。私が謝られてしかるべき流れだと思うんですが、私の感じ方がおかしいんでしょうかね?

「あれー?まじかwごめんねw」って言ってくれれば、それで済む話なんですけどねえ。まあだから、何が言いたいかって言うと、どこまで生きても私がメンタル的に寄っかかれる相手なんて皆無であり、どこまでいっても孤独なんですよね。受け止めてばっかり。寄りかかられてばっかりの人生ですわ。

あ、メンタル的にな。

わたしだってたまにはメンタル的に優しく甘やかされたいんですけど!他人に!キャバクラとか風俗に行きたくなるのはこんな瞬間なんでしょうかね。